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年賀状のはじまりと歴史。松の内の期間に地域差があるのはなぜ?

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年賀状についてお話したいと思います。

年賀状という習慣はなぜはじまったのでしょう。

 

年賀状の歴史とはじまり

年賀状の歴史は古く、なんと平安時代からありました。

びっくりですよね。

 

現存する最古の年賀状。

それは平安時代の学者である藤原明衡により作られた

手紙の文例集『庭訓往来』の正月の文例に見てとることが

できます。

 

「春の始めの御悦び、貴方に向かってまず祝い申し候」

(春始御悦向貴方先祝申候訖)

 

この文が日本の最古の年賀状なんです。

平安時代には、年のはじめにお世話になったひとや神族などに

挨拶して回ることが習慣として広まっていました。

 

 

江戸時代になると、付き合いが広くなって、

挨拶が簡略化され、書面だけですませるようになってきました。

これが年賀状のルーツだと言われています。

 

年賀状はいつからいつまでに出したもの?

気がつくと、年賀状の時期が過ぎてしまい、

寒中見舞いになっているなんてことは

よくある話ですよね。

 

そもそも、年賀状はいつまでに出すものなのでしょうか。

 

 

年賀状がいつまで出せるのかというか、

まずは一体いつから出すことができるのでしょう。

 

そ年によりけりですが、

大体12月の中旬以降から投函することができる

と考えるとよいでしょう。

 

ちなみに2020年に年賀状を出すことができるのは、

2019年12月15日以降からになります。

 

年賀状は2019年11月1日から

販売開始です。

 

ちなみに12月25日までに投函すると、元旦までに

年賀状を届けることができます

 

日本郵便からも、元旦に届けたいのなら

12月25日までに投函するようにアナウンスされています。

 

 

それでは、

年が明けてからの年賀状はいつまでに

出せば良いのでしょうか。

 

年賀状を出すことができるのは松の内までです。

 

松の内とは、門松を立てている期間を言います。

一般的には1月7日までの期間をさします。

 

松の内が終わること、それはすなわち

お正月があけることを意味しています。

 

前述した通り、

お正月の挨拶を簡略化したもの、

それが年賀状です。

 

そのためお正月の松の内の間に

年賀状を出さなければならないのです。

 

 

ちなみに、

関東では松の内は1月7日とされていますが、

関西では1月15日までが松の内になります。

 

地域によっては1月20日までが松の内のところもあります。

 

そのため、地域によっては年賀状を出せる期間が

若干違うと考えて良いでしょう。

 

地域によって松の内の期間がちがうのはなぜ?

では、なぜ松の内の期間が地域によって違うのでしょう。

 

これは江戸時代に起こったことが関係しています。

 

かつては、関東でも松の内は15日まででした。

そして20日に鏡開きをしていました。

 

三代将軍徳川家光は4月20日になくなりました。

すると月命日が20日になります。

 

すると、

家光様の月命日に鏡開きを行うのはいかがなものか

という声があがるようになってきたのです。

 

月命日に鏡開きをしないために鏡開きを行う日をずらし、

1月11日に行われるようになりました。

 

それに伴い松の内の期間が短くなり、7日までとなったのです。

 

しかしこの変更というのは、

関東までは伝達がいったのですが、

関西まで情報が伝わらなかったため、

関西では以前同様15日までの松の内

という習慣として残っているのです。

 

なお、松の内を過ぎてしまった場合は

寒中見舞いと返事を返すかたちに

なります。

 

寒中見舞いを出すことができるのは節分までです。

そこまで引き延ばすこともないかと思いますが、

節分までには返事を出しましょう。

 

ちなみに寒中見舞いとは、

寒い時期に身体の具合を案じて

手紙を出すものという意味合いがあります。

 

終わりに

年賀状、寒中見舞いそれぞれに意味があり、

その歴史は古くからあるものです。

 

日本のこの素晴らしい伝統である年賀状という

年始のご挨拶をしっかりして

また今年もよい一年を迎えたいですね。

 

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